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“お医者さんというより自分のお友達“
「辛いことがいろいろあります。思っていても口に出せない時もあります。皆さんに助けられて生きています。癒しケアがあると気が楽なんです」
エミさんが癒しケアのことを知ったのは2019年1月末頃、彼女のご主人、ビルさんが突然心不全になり、「私は英語が苦手だし、主人は日本語がわからないし、これからどうしたらいいのか」と不安に思っていた矢先、ふと目にした日系新聞の広告でした。そこには『日本語で話せる癒しケアチーム』と書かれており、「ここにお願いしたらいいのかなと、すぐに電話したんです」とエミさん。
エミさん夫婦は長年ワシントン州シアトルに住んでいましたが、年を取り、子供もいないことから、十数年前にビルさんの兄弟が暮らすサウスベイに引っ越しを決めて移ってきました。
エミさんによると、当時からビルさんの健康状態は決して良くなかったと言います。「もともと主人は他にも病気を抱えていて、前立腺の治療で泌尿器科にかかっていましたし、喉にも問題があって。でも手術するのは危ないからと言われていたので、そのままにしていたのです。薬はたくさん飲んでいましたね」。 それから心不全を発症して以降、4月からは病院へ行ったり来たりの状態になったそうです。
心に寄り添うサポート
そんな時に心強かったのが癒しケアチームのサポートだったとエミさんは振り返ります。「 八浪先生(癒しケアチーム担当医)は日本語も英語もお分かりになるから、いろいろなことを手伝って下さいました。月に一度は必ず来て下さって、ひどい時は電話をする度に。カナコさん(同チームソーシャルワーカー)、ジョシュア(同チーム登録看護師)、そしてミホさん(同チーム管理アシスタント)が皆いつも『大丈夫?どんな状態?』としょっちゅう電話で様子を聞いてくれました」
しかしビルさんの喉が 悪化し、息をするのも物を食べるのも困難になると、ビルさんの要望もあってトーランスメモリアル病院に一ヶ月ほど入院することになったそうです。
「入院中、(主人が)だいぶ良くなったから家に帰れるよと言って、歩いたりエクササイズしていたのですが、体が衰弱していて‥‥」とエミさんは言葉を切り、『最後に家に帰りたい』というビルさんの願いを聞き入れる形で「最後の2日間を 家で過ごしました」と話してくれました。その際、ホスピスケアに切り替えて、細かい手続きもすべて癒しケアチームが手配してくれたそうです。「本当に助かりました。主人が家に戻ってきたちょうどその日の夜にも八浪先生が来て診て下さいました。癒しケアチームの皆さんには本当に良く相談に乗っていただき、感謝しています」。
何があっても大丈夫という安心感
実はエミさん自身も持病を抱えており、神経過敏になると血尿が出て、お腹が痛くなって食べられなくなる時もあるそうです。そういった健康の不安や一人になった心細さから、ビルさんが亡くなった後でエミさんも癒しケアに登録することにしました。
「何かあった時にすごく安心ですね。例えば 、しゃがんですぐに立ち上がろうとして転んだ時に、お医者さんへ行こうとしてもすぐにアポが取れないから、八浪先生のところに電話するんです。どういう状態か聞いてくれて、『大丈夫だよ』って言ってくれたり。もちろん、ひどい時は救急へ行かなくてはならないですけどね。困ったことがあったらいつでもいいから電話してくるようにと言ってくれます。コロナの前は来て下さっていたんですけど、今は月に一回は電話してくれてありがたいです」とエミさん。また、持病が気になる時には、エミさんがお願いしている管財人の方と、 今後どうしたら良いかといったことも一緒に話し合ってくれるので助かっているとのことです。現在はコロナ禍で訪問は差し控えられてはいるものの、「もしもの場合は来てくださるというので心強いし、ありがたいです」とエミさんは感謝の言葉を何度も口にしていました。
「八浪先生はお医者さんというより自分のお友達みたいに話ができる方で、『あの先生の顔を見たら治っちゃった』という人がたくさんいますよ。何でも聞けるし何でも言えます。言っちゃ悪いことまで(笑)。本当の友達みたいによくして下さる。もちろんきちんと体の具合を聞いてくれてお医者さんとしての話もしますが、その後で世間話をしたりします。最近では私が一人で悲しんでいるんじゃないかと、日本の歌を歌ってくれたり、三味線を引いてくれたりしました。慰めになります」 エミさんの声が微かに震えていました。
エミさんにとって癒しケアチームは、単に健康の不安を取り除いてくれるだけでなく、心の癒しとして 心身両面での強力なサポートになっているようです。
*本人の意向により仮名として掲載させていただいております。
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