Keiro(敬老)は1961年の創立以来、日系アメリカ人と日本人コミュニティの価値観を尊重し、コミュニティの高齢者の生活の質を向上するというミッションに基づいて活動しています。創立メンバーの荒谷ジョージ氏、広戸エドウィン氏、丸山清氏、三森ジェームス氏、仲村権五郎氏、大松フランク氏、篠田ジョセフ氏、そして和田フレッド氏の日系コミュニティリーダー8名が、パイオニアであった日系一世のために、日本文化に配慮した環境で思いやりと質の高いヘルスケアサービスを提供できるようKeiroを立ち上げました。
先見の明のある彼らのリーダーシップのお陰で、Keiroは日系人コミュニティにおける高齢者への継続的なサービスおよび、居住型ケア施設の創設で知られるようになりました。Keiroの歴史は革新と進化、コラボレーションに富み、様々な人々の犠牲、寛大な寄付、多くのボランティア活動がKeiroサービスの着実な成長を後押してきました。そしてこのレガシーこそ、日系人コミュニティの移り変わるニーズに対応し続けるKeiroの原動力となっています。
https://www.keiro.org/wp-content/uploads/21KER01_Keiro_Connect_Winter_2021_F1_WEB.pdf
Keiro’s 50 years, 50 stories book (published during Keiro’s 50th Anniversary) is available here.
Keiroの歴史
Keiroのアンブレラ・オブ・ケア
Keiroの創立者たちは1961年にロサンゼルス日系病院(Japanese Hospital of Los Angeles)を購入し、Keiroの「アンブレラ・オブ・ケア」の確立の一歩を踏み出しました。「アンブレラ・オブ・ケア」は、救急治療、高度看護および中間看護、居住型介護サービス等を提供する総合的な高齢者サービス・モデルです。その後Keiroは年月を経て、敬老介護ホーム(Keiro Nursing Home)、南敬老介護ホーム(Minami Keiro Nursing Home)、サウスベイ敬老介護ホーム(South Bay Keiro Nursing Home)、敬老中間看護施設(Keiro Intermediate Care Facility)、敬老引退者ホーム(Keiro Retirement Home)にて、継続した一連のケアを提供するまでに成長しました。
政府が診断群別包括支払いモデル(DRG)を発表し、病院に対する払戻し制度を大幅に変更したことを受け、理事会は受託者責任を果たすべく、1985年にCity View Hospitalを閉鎖するという苦渋の決断を下しました。
この57床の病院には、大規模な近隣の病院と競合し、経営を維持する為に必要な高水準な緊急治療を提供する医療資源や設備が整っていませんでした。しかしながら、その閉鎖はコミュニティの著しい分裂という結果を招きました。Keiroは救急治療サービスから撤退する一方で、介護施設や活気ある引退者ホームを中心としたサービスを継続しました。
またKeiroは、1987年に起きた壊滅的なウィティアー地震等の困難な時期にも、その再生力を見せています。この地震で敬老引退者ホームの建物は大きなダメージを受けました。しかし日本の様々な企業や法人からの多大な財政支援やアメリカ内の寄付者による寛大な寄付により、敬老引退者ホームは再建され、1989年に業務が再開されたのです。
90年代後半に、Keiroはアルツハイマー病及びその他認知症患者のためのメモリーケア施設を敬老介護ホームに設立し、コミュニティのニーズに応える新たなサービスを始動します。
自宅での「元気リビング」
90年代後半そして2000年代初頭、Keiroはコミュニティ・ベースの高齢者と介護者へのサービス拡大をこころみます。日中の介護者負担の軽減を目的に、質の高いケアと介護者へのレスパイトサービス(介護から安心して離れることのできる時間)の提供を目指し、2つのデイ・ケア・センター(オレンジ郡敬老デイケアセンター及びトーランス敬老デイヘルスケアセンター)を開設しました。しかし当時はデイケアというコンセプトが時期尚早だったようで、どちらのセンターも利用者の数の低さや経営維持の困難により、閉鎖することになりました。
2006年、Keiroは敬老ヘルシーエイジング研究機関(Institute for Healthy Aging)を立ち上げました。自宅での元気な暮らしを促進するための各種リソースや教育、介護者サポートに対する高まるニーズに応える新たなイニシアティブ、「元気リビング」が発動されました。ヘルシーエイジング研究機関は、健やかに年齢を重ね、自分が選んだ道のりで老後を生きるための斬新なベスト・プラクティスを紹介・共有するカンファレンス、イベント、講座を開催しました。
Keiroは創立以来、信頼される高齢者サービスのプロバイダーとして、日系アメリカ人コミュニティにて高齢者サービスを提供する団体同士のサポート・ネットワークを構築し、有益なコミュニティ・パートナーシップも築いてきました。このようなコラボレーションとパートナーシップは現在も継続されており、日系人コミュニティ高齢者のさらに高まる多様なニーズを満たすためにも、これまで以上に重要な役割を担っています。
4施設売却と提供サービスの移行
長い年月を経ての熟考、調査、シナリオ・ベース・プランニング、高齢者サービスの専門家との協議を重ねた後、Keiroの理事会はサービスの中軸とする取り組みを施設ベースのケアから、コミュニティー在住高齢者の多様で広範囲なニーズへの取り組みに移行するという苦渋の決断を下しました。
2016年2月5日、KeiroとPacificaはエスクロー契約に署名。Keiroの4施設(敬老介護ホーム、サウスベイ敬老介護ホーム、敬老中間看護施設、敬老引退者ホーム)はPacifica Companies, LLCに売却されることとなり、この売却はカリフォルニア州司法長官により条件付きで承認されました。
移行後、Keiroは助成金プログラム、癒しケア、敬老の日フェスティバル等、より多くのコミュニティ・メンバーを対象とする新たなプログラムやサービスを展開しています。
2016年2月の売却に伴い、旧施設の所有者、管理者、名称は変わりましたが、司法長官が定めた5年間の条件付き期間中、そしてその後もKeiroは旧施設の入居者とスタッフのサポートを継続しています。
その中には、日本文化に配慮した食事や娯楽、イベント等の特別な機会の提供といったサポートも含まれています。またこのような支援は、日本人および日系アメリカ人高齢者が入居する他の施設にも提供されています。Keiroが継続しているサポートについては、こちらの記事をご覧ください。
60周年、そして未来へ
2021年、Keiroは60周年を迎えました。(60周年記念ビデオ(英語のみ)はこちらをご覧ください。)
60周年記念ビデオの中で理事会会長のリン・ミヤモトは、次のように語っています。「理事会と私の売却時の対応は、残念ながら万全ではありませんでした。振り返ると反省点が多々あります。今後は将来の計画や決断について、コミュニティおよび関係者の方々との綿密な連携に努める所存です。」
変化し続ける日系人コミュニティの高齢者ニーズを満たすため、Keiroは今後も変わらず革新的なプログラムの開発、コミュニティパートナーとの協力、そして不可欠なリソースの提供に全力で取り組んで参ります。
Keiroの名前は高齢者を敬うという「敬老」に由来します。この核となる価値観は、現在の我々の戦略的イニシアティブと創立者たちを結び付ける指針です。Keiroは創立者たちのレガシーを忘れることなく尊重し続けながら、日系人コミュニティの高齢者の生活の質を向上すべく、それぞれの高齢者が「ホーム」と呼ぶ場所でのサービス提供に努めて参ります。