close

Published

お名前:ヤマモト・カズコさん
年齢:82歳
西南コミュニティセンター、クレンシャー

「私は静かでしたが好奇心は旺盛でした。あの頃はただ広いところに行きたいばかりでした。」

一週間のスケジュールについて教えてください。

毎週火曜日と金曜日に西南で気功のクラスとボランティアをしています。木曜日は広島県人会の麻雀に参加しています。その他の日はお友達の家に行って掃除や炊事を手伝っています。たまに家に行くときに「家政婦のヤマモト来ました」と言ったり。(笑)それから隣に住む次男の家のことも手伝ったりしています。

庭仕事もしています。とにかく家にこもっていることが嫌いなんです。

毎週楽しみにしていることは?

西南に来ること、そして木曜日の広島県人会での麻雀が楽しみです。それから西南から一カ月おきにバスで行く日帰りのカジノ旅行も大好きです。(笑)

子供たちも比較的近くに住んでいるので彼らが遊びに来てくれるのも楽しみです。

一番の自慢は?

働くこと。とにかく奉仕というのが好きで。働くこと以外自慢できることは他にないです。

52歳から72歳まで、育児がひと段落着いたところで工場で電気パーツのアセンブラーという仕事をしていました。顕微鏡でワイヤをみる細かい作業の仕事でした。

このボランティアも、言葉はあまりわからないけど、分かりやすいように優しく教えてもらって続けるようになりました。英語も少し学べています。

目標にしていることは?

今は特には・・・ないですね。ただ、毎日を楽しく、元気に過ごせることに感謝です。英語がもっとできれば目標もあるのでしょうけどね。(笑)

子供たちは、私が英語があまり分からないから、ドライブして遠出しないことを安心しています。もし、これで英語が分かっていたらお母さんどこに行くか分からないからと言われました。本当毎日楽しんでいます。

それから、今日本ではやっているでしょ?PPKって、ぴんぴんころり。それを、毎日お祈りしています。(笑)

自身の幸せに必要なものは何ですか?

健康が第一。子供たちに世話にならないように過ごせることですね。

高校生の頃の自分の人生において大切なものは何でしたか?

和歌山の田舎の中学校を卒業してから広いところに行きたいと思って大阪の箕面で女中奉公の行儀見習いとして生活していました。そこからさらに広いところに行きたいな、と思っていたときに主人との見合い話がありました。それで私は25歳でアメリカに一人で来ました。神戸港からサンペドロの港へ、写真での見合い結婚でした。

私は静かでしたが好奇心は旺盛でした。あの頃はただ広いところに行きたいばかりでした。

生活の質を維持するものは?

ここに集まる皆との会話が大切だと思いますね。

それから、子供たちからよくしてもらって、不安のない生活を送っていることでしょうか。

私のアメリカ生活の中で今が一番幸せです。
私にもこんな幸せが残っていたんだと毎日思っています。