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多くのコミュニティの高齢者の方、そのご家族が、「癒しケア」チームのソーシャルワーカーの福山可奈子さんをご存知のことでしょう。他のチームメンバーと共に、高齢者が『我が家』と呼べる場所へ、支援と癒しをもたらしています。しかしながら可奈子さんとKeiroとの関わりや日系アメリカ人高齢者への支援は、それよりはるか前に遡ります。可奈子さんと、Keiroで働いてきた18年間を振り返っていただき、自身の成長から得たこと、そして彼女が形作っていった様々なKeiroのプログラムについて話していただきました。
デイケア・センターでキャリアをスタート
可奈子さんは大学卒業後間もなく、オレンジ郡にあるウィンターズバーグ長老教会内の敬老デイケア・センターで、アクティビティ・コーディネーターとして働き始めました。そこで参加者のためにクラフト作りや健康関連のアクティビティ等を企画していました。参加者の大部分は加齢に伴う持病があったので、特別な介護支援が必要な方たちばかりでした。彼女は当時を回想し次のように話しました。「そこで会った大勢の参加者やご家族の事を覚えています。
そこで働いたことで、介護の負担や、認知機能の障害が当人と家族の双方にどのように影響を及ぼすのかについて、沢山のことを学びました。私にとって素晴らしい経験でした。」
可奈子さんはそのセンターで勤務する傍ら、社会福祉事業の修士号を取得しました。何年かの間にソーシャルワーカーに昇進し、次にプログラムディレクター、そして管理者になりました。また、これらの役職のもう一つの役割は、アダルト・デイ・センターという考え方をコミュニティにより深く知ってもらうことでした。彼女は次のように述べました。「それは革新的でした――が、挑戦でもありました。私たちはコミュニティにデイケアが安全かつ脳を刺激するアクティビティや社交を提供する場、そして介護者への支援につながっていることを伝える、知ってもらう必要がありました。」
ヘルシー・エイジング研究機関と「介護者カンファレンス」
2006年にアダルト・デイ・センターが閉鎖された後、可奈子さんは敬老ヘルシー・エイジング研究機関(The Institute for Healthy Aging at Keiro (IHA))に異動しました。「私たちは基本的に、介護者のニーズと健康/元気な生活に関するより広い認知の為に努力しました」と話しています。彼女の仕事には、転倒予防、慢性疾患の自己管理や記憶力維持など、根拠に基づいて作成された様々なプログラムの指導資格を取得し、コミュニティに提供する企画も含まれていました。
そして可奈子さんのもう一つの役割は、Keiroの「介護者カンファレンス」を年間に1~2回企画することでした。彼女は当時を思い返し、次のように述べました。「何回企画したのかは分かりませんが、たぶん10回以上です。時が経つにつれて、目に見えて参加者に変化が現れ興味を持っていただくようになってきたので、嬉しかったです。」カンファレンスを行っている中に、参加者がより若い年齢層だったり、テクノロジーに関する話題に対する関心が高まってきたことを感じたそうです。また、可奈子さんは笑いながら、こうも付け加えました。「介護者カンファレンスや他のIHAの催しでは差し入れを置くテーブルを用意するのですが、参加者がよりヘルシーなおやつを持参するようになってきました。」
これらのプログラムがもたらした影響について、可奈子さんはこう述べました。「自分の健康に対する意識も高まったので、私の為にもなったと思います。そういう場で、『健康的な食事をして、自己管理をしてください』と人々に言い続けてきました。実はそれによって自分のことを考えさせられました。周りに言っていることを自分が実行して、お手本にならなくてはなりませんからね。」
「癒しケア」
可奈子さんは2018年から「癒しケア」プログラムでソーシャルワーカーとして、日系アメリカ人と日本語を話す人々のコミュニティの高齢者に緩和ケアを提供しています。多くの場合、「癒しケア」チームは、患者とその家族が介護の舵取りをできるように支援することもあります。その際に、デイケア・センターやKeiroの健康促進プログラムでの長年の経験が基盤になっていると語ります。「介護の課題は、私たちのコミュニティに常に存在していると思います。介護者はほとんどの場合、正しい方法で、最善を尽くしている場合が多いのですが、そのことを誰かに確認したくなる時があります。だから私たちはしばしばその気持ちを汲み取り、『とてもうまくいっていますよ。大丈夫です。』とその介護者に言うんです。それがとても心に響くようです。」
コミュニティに奉仕してきたキャリアを振り返る
可奈子さんは現在までの経験を振り返って、仕事を通して日系アメリカ人と日本人のコミュニティをサポートできることに感謝していると語り、次のようにコメントしました。「そのことがとても嬉しかったです。Keiroでの仕事を通じて、日本で育った時には学ばなかった日系アメリカ人の歴史を学ぶことができました。現在の私たちのコミュニティを築くために大変な苦労をしてきた人々に、とても感謝しています。彼らの献身、逆境に負けない回復力、そして私たちのコミュニティに対する愛情に対して、私たちの世代は本当に感謝しなくてはなりません」。また彼女は、ともに過ごして経験を積んできた過去18年間の自身の変化についても感謝しています。「たくさんの変化を経験してきましたが、Keiroにいた間に私自身が個人的に変化しただけでなく、Keiroも変化を遂げてきました。自分がそれを経験できたことは特別なことのような気がします。」