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2019年12月にデベロップメント・アソシエイトとしてKeiroオフィスに足を踏み入れたミシェル・オビさんは、当初は自分のKeiroでの仕事はサービスやプログラムを続ける上で必要な資金調達の取り組みを支えるものだという認識でした。また、ミシェルさんにはKeiroとの個人的なつながりもあります。ミシェルさんの祖父、ロバート・オビ医師はKeiroのシティ・ビュー病院(City View Hospital)で1960年から1985年の閉院までの間、院長を務め、祖母は病院の土産物売り場でよくボランティアをしていました。ご自身の役割の基本的な認識と、家族とKeiroとのそれまでの縁から始まり、ミシェルさんは、働く中ですぐにコミュニティにとって重要な事と、祖父母が彼女に残した次の世代に引き継ぐべきレガシーを見出すことになります。
働く中での新しい学び
ミシェルさん曰く、おじいさんは無口な人で、彼女がまだ幼かった頃に亡くなったため、直接話を聞く機会はあまりなかったと言います。祖父の思い出の一つは彼女が幼い頃遊んでいたドールハウスのことです。ドールハウスで遊んで散らかした後、戻ってみると、彼がすべての物を元の位置にきれいに戻してくれていたのでした。ミシェルさんは、自分の祖父が家族や他の周りの人に細やかな行動を通して思いやりの心を表していたと、振り返っていました。

祖父のそうした思いやりの心がコミュニティにも注がれていたと知るようになったのは、Keiroでの仕事を通して地域の人と交流し始めてからでした。オビ医師と面識のあるコミュニティメンバーと知り合う機会が多くあり、彼らから当時の話や祖父が医師としてどれほど尊敬されていたか教えられたと彼女は言います。このような出会いから祖父のことをたくさん学び、そして祖父を通してコミュニティとつながることができたことに大きな喜びを感じているそうです。
コミュニティへのケア

Keiroで働き始める前、ミシェルさんは、Keiroという団体がコミュニティにとってどのような意味を持つかについてよく理解していませんでした。しかし働く中で、自分のスキルを活かしてKeiroの支援者との関係を築き、維持し、そして構築する意味を深めることができました。「私たちを信じて支援してくれる人々がどう貢献してくださっているか知っていただくことが大切です。Keiroの貢献ではなく、支援者の皆様がKeiroへ与えてくださることをもっと強調したいです」と彼女は言います。Keiroでの日々を通して、大勢の人が支援者の事を心から信じてくれると、それだけ自分の仕事も意義深くなるとミシェルさんは感じています。
おかげさまで
オビ家でよく使う日本語の言葉のひとつに、「おかげさまで」があるそうです。ミシェルさんは、この言葉が彼女自身とKeiroでの仕事に大きな意味を持つことに気づいたと語ります。前の世代がいなければ、私たちが今ここには存在しないことを改めて理解し、高齢者や介護者のコミュニティをサポートすることに大きな喜びを感じているそうです。さらに、彼女の祖父母が行ってきた仕事を、引き継ぐ形で彼女の家族に与えてくれたことに感謝をしていると述べます。「私は(祖父母が)信じていたのと同じ目標を信じ、またその目標のために働いています。それは私たちの本当に新しくできた素敵なつながりだと思います。」

ミシェルさんは彼女の祖父母が深く関わっていた団体で働くとは思ってもみませんでしたが、それによって「おかげさまで」という言葉が彼女にとってより深い意味を持つきっかけとなりました。ミシェルさんのKeiroでの仕事は、祖父が残したレガシーを引き継ぐだけではなく、60年前に確立されたミッションを未来につなぐべく、当時Keiroに蒔かれた強いルーツを私たちが今振り返り深める大切さを物語っているのではないでしょうか。