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筆者 ジャック・フジモト
Keiroが初めて癒しケア(Iyashi Care)について話したとき、(ローマ字表記で読む際に)いやし(Iyashi)のIyaは日本語で「嫌い」、そして、Shiは「死ぬ」という意味にとらえてしまい、最初はネガティブな気持ちにさせられた感じがして、癒しケアのことを払いのけていました。しかし、最初の解釈にも関わらず、私自身が、介護者としての立場から医療従事者からのケアを受ける立場へと移行するにつれ、緩和ケアのコンセプトに魅かれるようになりました。
私の90歳以降の“サンセット・イヤー(日没年齢)”において、私は軽度認知障害の妻グレースと発達障害の娘を、ランチや娯楽(麻雀、合唱、運動、講義)のために、ソーテル日本学院とカルバーシティ・シニアセンターに連れて行くことに喜びを感じていました。
グレースはもう運転をしないので、私が彼女を毎月、West Los Angeles Buddhist Templeで開かれる80歳以上が対象のランチに連れて行きました。
しかし、妻の病状が進行し、妻の補足ケアのために癒しケアに登録しました。私たちは、癒しケアチームに相談し、妻にとって最善のケアについて話し合い、この状況で、妻と娘のケアする介護者の私にとって、そして、私自身にとって何が実現可能かを学んでいきました。
パンデミックによって
Stay-at-homeという外出禁止令の影響で、コミュニティセンターでの活動や友人との会合はすべてキャンセルとなりました。子供たちは、私たちには家の中に留まるように、買い物リストを渡してくれれば、欲しいものを届けるからと言われました。それでも食事は作りつづけていました。しかし、今は事情が変わり、1日30錠程度の薬を服用した私の体は、体重がかなり減ってしまいました。
肺の状態も悪くなり、私は妻と娘の介護が出来なくなりました。酸素ボンベが必要となり、私は、抗凝固薬を使用した心臓、頻繁に監視が必要なペースメーカー、そして、常に支援が必要な退役軍人省から至急された聴覚機器が必要になるところまで衰えてしまいました。かかっている専門家たちは、私の状態の変化に応じてアドバイスや処方箋をくれました。
癒しケアはバランスの取れたケア
現在、私は癒しケアチームのサポートを受けています。チームの人には、処方箋をはじめ、プロの介護者に支援してもらいながらのクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)の見直し、そして生活のあり方、生きがいを今一度考えるために支援を受けています。
私は電話で、癒しケアの看護師、ジョシュアさんと薬について話し、ソーシャルワーカーの可奈子さんとは、シャワー中に握るバーなどの安全対策や将来のケアオプションなど社会的ニーズについて話します。
生活の質、クオリティ・オブ・ライフに関しては、八浪先生から一番支援していただいています。八浪先生は夜間に熟睡するため、Calm、Insight Timer、Headspaceなどのスマートフォンアプリを勧めてくれました。また、酸素ボンベを通してステロイドを吸引することで、肺機能を改善するのを助けてくれました。
そして何よりも、私の“サンセット・イヤー(日没年齢)”におけて生きがいのある暮らしを取り戻そうという自信が私に注入されたのです。